こんどは、おばあちゃんからの質問ですよ。

絵や写真からは、ハエの飛ぶ音なんて聞こえてこないし、体の焼けるにおいもしませんね。

みなさんは、“ 血のにおい ” って分かるかしら?


広島高等工業から建物疎開たてものそかいにかりだされていた17歳の弟が、友だちにささえられて、やっとの思いでもどって来たのよ。弟が力つきて、川べりで休もうとしたら、

一升瓶いっしょうびんだけを手にした見知らぬおじさんに、

『ここで、横になったら、そのまま死ぬぞ!』って、お酒を飲まされたんですって…。

もし、その時にお酒を飲まされていなかったら、弟は川べりで力つきて、家にもどって来られなかったでしょうね。

 

自分の体の臭いって、すぐになれるものなんだけれど、弟は苦しみにうめきながらも、

『血の臭いを消したいから、母親の香水こうすいをふりかけてくれ…』と言って、私を困らせたの。

今にもくずれ落ちそうな家に入るのは危険きけんで、父を軒先のきさきせていたときにね。

瀕死ひんしの状態の弟の願いは、かなえてあげたいけれど…と、

困っていたときに、ワインが手の届とどくところにあったので、傷口きずぐち洗浄せんじょうをかねて、バーッと一本、かけてやったわ。

 

今でこそ、『爆心地ばくしんちから疎開そかいするのに、お酒のびんだけを持っているなんて、おかしなオジサンだ。』と思えるけれど、人間、いざとなったら理解りかいできない行動をとるのよね。とにかく、その人と、同級生には、今でも感謝の気持ちでいっぱいですよ。

…でもね~、たいした傷もなく、弟を連れてもどってくださったお友だちは、数週間ののちに発病してくなりました。

 

とにかく、あのころは、分からないことばかりでねェ~

やけどをしていないからと、救援きゅうえんに当たっていた人が

突然とつぜん、亡くなったりしましてね……

 

あのころは、着る物も食べ物も全すべてが規制きせいされていて…、配給はいきゅうの食料品だけでは栄養が足りない時代だったのよ。両親は闇市やみいちで食料品を集めて私たちを育ててくれたの。栄養価えいようかの高い物をたくさん食べていたおかげでしょうね、弟は当時の人の中では、頭ひとつ分、背が高くて、じょうぶな体をしていたの。今でも元気に働いていますよ。

 

みなさんも、好ききらいなんて言っちゃダメ!

出された食べ物に感謝してたくさん食べておくんですよ。