質問1:広島で“きのこ雲”をごらんになったときのことをうかがわせてください。

アメリカぐん撮影さつえいした写真の印象いんしょうが強いからでしょうねぇ…。

原爆投下げんばくとうかのときに、きのこ雲が見えた。』と、思っていらっしゃる方が多いけれど、“きのこ雲”なんて…見えなかったのよ。あの雲の下にいた者にはね。

あの朝はきれいな青空…。

アメリカの飛行機は大きな銀色の機体を光らせて、とてもきれいだったのよ。

実際に空爆くうばくされた経験けいけんなんて、それまで無なかったことですしね。

18歳の女学生だった私は、まわりの日本人には、分からないように

そっと “ Hi, Angel ! ”なぁんて、心の中で手をふっていたのよ。

 

日本は鬼畜米英きちくべいえいと教育されていた時代だから、敵の飛行機を“きれいだ…”なって言ったら『非国民ひこくみん』としかられたのよ。

 

原爆投下の朝、母は台所で料理をしていて、父は上半身はだかで畑に出ていたの。

 

弟は建物疎開たてものそかい勤労奉仕きんろうほうしに出ていて、
私はとなりの家の洗たく物とわが家のあいだで、飛行機が東の空に飛んでいくのを見送ったわ。

 

白い斑点はんてん(B29の機体)が通り過ぎて、20~30秒ほどたったころかしら…

 

突然とつぜん、ピカッ!って…

ものすごい閃光せんこう!!

 

今の私の体じゃ、あんな動きはできないけど、アノ頃は、若かったから、とっさに、耳と目をふさいで、となりに干してあったふとんの下にもぐりこんだの。

 

しばらく、気をうしなっていて…、

体にのしかかった家の重みで意識がもどったときには、上半身は無傷むきずで、足の傷からの出血もほとんどなかった。

 

どんな動きをしたのか…よくおぼえていないけれど、とにかく、干してあった隣のうちのお布団ふとんを頭からかぶって、くずれてきた建物の下じきになっていたので、おもてから見える傷といえば、歯が欠けたくらい…。

なん時間かたってから、腰骨こしぼね骨折こっせつしていたことが分かったの。

 

数日たってかみの毛がぬけ落ちた時に、

「としごろのむすめがこんな姿すがたになって…」と、母親がなげいたけれど、今でもこうして命があることに感謝しなくちゃね。