質問2:今の和さんの体には被爆の傷がなにも見えませんが…

 アメリカの『原爆を考える会』の中にさえ、ケロイド(keloid)が被曝ひばくのシンボル(symbol)のように思っている人がいますからね。

 でも、閃光せんこうによる重度の火傷やけどと熱風による破壊はかいだけが被曝ではないのよ。

 

あとで考えれば、私を押しつぶした建物で腰を骨折したけれど、その建物がかげを作ってくれたおかげで、火傷のケロイドができなかったのね。でも、被爆者ひばくしゃはだれもが、いつも胸の中に時限爆弾じげんばくだんをかかえているのよ。

爆弾が落とされたときに、父は、ふんどし姿(上半身はだか)で畑を耕していたの。その父が「やられた~、やられた~」って、うめきながら帰って来たわ。背中は無きずなのに、閃光せんこうを浴びた体の前半分は血まみれで…、悪いれど、『父はもう助からない…』って思ったわ。

 

母はちょうど、台所のテーブルの下の物を拾おうとして身をかがめた瞬間しゅんかんで、まどガラスの破片はへんでけがをしただけですんだの。

 

近所の人が集まって来たけれど、その時には、いったい何が起こったのか、だれもけんとうがつかなくて…

「どうなったんかいのう、」と言うばかり。 

それぞれ、自分の近くに焼夷弾しょういだんが落とされたと思っていたの。

広島の町から山のほうへ避難ひなんするために、多くの人がうちの前を通り過ぎたけれど…、だれもが力なく無言で静かに…。

 

友だちの妹さん(まだ小学一年生くらい)は、おなかの肉が半分もぎとられた状態で集団下校してきたけれど…

“海ゆかば水づくかばね(死体)、山ゆかば草むす屍…”の状態じょうたいで、今のあなたたちには想像もできないような……。

色にたとえれば、くらいねずみ色の世界ね。

 

けが人や父を病院に連れて行きたくたって、病院やお医者様もとても、大変な状態ですからね。ただ、幸いなことに、関東大震災かんとうだいしんさい経験けいけんした看護婦かんごふさんが家の近所に住んでいらして、毎日、傷の手当てをしてくれたの。包帯ほうたいやガーゼなんてないから、シーツを包帯代わりに毎日、洗濯して使うの。 

看護婦さんが立ち上がって『旦那様だんなさま、まいります。』と気合いを入れて、ビ、ビッ!と、そのシーツをはがすと、父の悲鳴が家中にひびきわたったわ。でも、おかげさまで、父の体には蛆虫うじむしがわくこと無かったのよ。


 【補足説明ほそくせつめい焼夷弾しょういだん

1945年初夏からは、日本の本土でも多くの都市が空爆くうばくを受けました。第二次世界大戦の頃の日本建築は紙と木が中心でしたので(石造りのヨーロッパ建築をふきとばしてこわすのに比べ)焼きつくす爆弾ばくだん(焼夷弾)が効力こうりょく発揮はっきしました。


【補足説明:蛆虫うじむし

英語でmaggot:昆虫こんちゅう幼虫ようちゅう。この場合は特にハエの幼虫をさします。当時、きれいな水や薬品が不足して、被災地ひさいちではハエが異常発生いじょうはっせいし、死体ばかりではなく、生きている人の体にもハエやウジムシがたかりました。